健治郎会長が語る、「昔の話、まあ聞いちょ」(2003.6.25連載開始)
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その11【商店街の懐かしさ】(2005.3.18)
 昨年8月以来のごぶさたです。長らくお待たせしました。
 前回は、「子どもの悪戯について、まあ聞いちょ」と終わりましたので、今回その続きを書かんとあかんのですが、現在の子供さんに悪い影響を与える事になりましたらと考え中止することにしました。いや、そんな悪いことをしてたわけやないんやで、ほんま。汗かくわ・・・。

 さて、いま泉の森の「歴史館いずみさの」におきまして、泉佐野の昔の写真展をやっています。その展示を見て、人生74年を振り返って過去の懐かしさを思い出して書いてみました。
 私のものごころが付いた頃(昭和10年頃)には、駅前の商店街通りには、日避けテントが有りました。現在のアーケード的なものでしょうか、通りの両脇に鈴蘭燈(すずらんとう)と言う、鉄柱に鈴蘭の花をあしらった電気の傘が一つの柱に4〜5個鈴蘭の花のように付いたものが、駅前から現在の「つばさ通り商店街」の入り口まで各店店の軒先にずらりと立ち並んで、ほんまに夜は美しかった事を思い出させてくれました。いまは単に街灯と味気ない言い方ですが、むかしは名前の通りのスズラン燈でした。そしてその鈴蘭燈の上に、布で作った日覆いが付いて、それを開けたり閉じたりするのは、柱に取り付けています紐を、今の窓のブラインドを開け閉めするのと同じ要領で操作するように作られていました。
 また通りの道には木煉瓦(もくれんが)を敷き詰めて舗装され、夏には大八車の上に車いっぱいの木箱を乗せそれに水を張った散水車が通り、その当時としては洒落た商店街でした。それを思うといまの商店街というものは、こんな風情がないようになってしもた。風情がなくなって人出がなくなったようで寂しいことです。
 各店におきましては朝は7時頃に店を開け、夜は10時から11時頃まで商売をしていました。映画館の終わるのが9時か10時頃でしたから、それまで人通りも結構多くたいそう賑やかな活気のある商店街でした。
 泉州ではその当時、堺から和歌山の間では、佐野か岸和田の商店街かと言われた位、華やかな商店街で、まるで泉州の心斎橋通りと言えたでしょうか。信じられへん話しですわな。
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吉野 健治郎
k-yosino@rinku.or.jp