| 健治郎会長が語る、「昔の話、まあ聞いちょ」(2003.6.25連載開始) |
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| その13【露天あきないのにぎわい(その2)】(2006.2.15) |
| 私が1930年(昭和5年)に生まれ只今75才。商売人(メガネ専門店)の子に生まれて現在まで、各種の商売を見続けてきました。 思い出すのは各種の出店や行商。それを記憶をたどりながら並べて見ますと・・・・・、 ************** 今回は下駄と下駄の歯替え屋さんについて、約65年ほど過去を懐古(^^;)しながら綴ってみましょう。 元々、下駄とは日本の伝統的な履き物と言われています。下駄には、数々のものがあり、例えば足駄、山下駄、吉原駄、露卯(ろぼう)柳下駄、馬下駄、駒下駄、桐下駄、小田原下駄、外方下駄、助六下駄、日和下駄、利休下駄、吾妻下駄、と使用する場所、人により様々な用途の下駄があったのでしょうな。 私達は小学生の頃には、大半下駄を履いて通学していました、靴をはいている子は、よほどの先進的か財産家の家庭の子供だったのでしょうな。現在、下駄を履くことがありません。旅行して旅館で下駄を引っかけて町へでかけるか、夏の盆踊りに、浴衣がけに下駄をはくぐらいでしょうかな。 下駄はなかなか情緒のあるものです、夏、夫婦で浴衣がけに下駄をはいて夜店や盆踊りをみに行くのも、おつなものです。 又ずっと昔の思い出ですが、寒い冬の夜、暖かい寝床に潜りこんでいるときに、凍りつくような夜道をあるく差し下駄の歯の、ギシギシときしむ音が聞こえてきたときは、寝床の暖かさがいっそう強く感じられたものでした。 若宮町あたりは若宮新地といって、戦前は料亭や割烹の多いところで、今でもその面影は残っていますが、私がよく覚えているのが、料理屋の料理職人さん達が、歯の高さ約10糎位から高いのが15糎位のを履いていまして、十代の私にはかっこよいものに映っていましたが、今では白色の長靴に変わりましたけれど。 ここで、差し下駄(足駄が本来の呼び方と言われていますが)という言葉が出ましたが、差し下駄とは脚の置く部分(床と言えばよいのかな〜)と、そして歯とは下駄の床とは一体でなく別になっていて、床の裏側は船底のようになって、その船底の床に横渡しに二箇所に溝が刻まれ、その間に樫の木か桜の木で作った、厚さ7〜8ミリで大きさ名刺くらいの板を差し込んだものを、差し下駄と言いいます。いまでも盆踊りなんかで男性が履いているようなまさ下駄は、歯が3センチ角ぐらいの削り出しで床と歯は一体ですが、差し下駄は別々なので、履いていて歯が擦り減ってしまうと歯だけ交換してました。歯を固定しやすいように、床のうらが船底型に盛り上がっていたのでしょうな。 ここまで下駄について私の知る限り綴りましたが、下駄の思い出だけで長くなってしまいました。その差し下駄の歯替え屋さんについては、次のお楽しみにさせてもらいまっさ。 |
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| このページにつきましてのご感想をお聞かせ下さい。 吉野 健治郎(k-yosino@rinku.or.jp) |