健治郎会長が語る、「昔の話、まあ聞いちょ」(2003.6.25連載開始)
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その16【露天あきないのにぎわい(色水のゆくえ)】(2006.5.15)
 私が1930年(昭和5年)に生まれ只今75才。商売人(メガネ専門店)の子に生まれて現在まで、各種の商売を見続けてきました。
 思い出すのは各種の出店や行商。それを記憶をたどりながら並べて見ますと・・・・・、
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 ここしばらくは、行商や露天商いの話しが続きますが、まあしばらくご辛抱を・・・。
 今回は私がまだ16〜17才の頃の面白い商いの思い出話しをしてみましょう。         
 終戦の明くる年頃だったと思います、闇市という商売が都会で始まり、それが佐野(まだ泉南郡佐野町でした)にも出始めました。佐野の駅下がり(昔は、南海佐野駅は浜側にしか改札口はなく、いまの山側のロータリーの場所には貨物線や第二小学校がありました)を左に入った店の通り辺りに闇市の出店が並び、アメリカ兵の横流しの煙草、チョコレートから牛肉の缶詰めなどが販売されたり、食べ物では雑炊(ぞうすい)から餡(あん:芋餡)の入った焼き餅、焼き芋からラーメン、生肉まで、戦争中全ての物の統制で陰を潜めていた、あらゆる生活用品が売られていました。そのため街は人々で賑わい歩くにも一苦労するほどでした。
 うちの店の向かいには、当時は大きな屋敷の塀がありました。夏の暑い日、なにやらその所に店を出し初めました。何屋が出るのかと興味深くまた楽しみに見ていましたら、イチゴ水やレモン水そしてコーヒなどの冷し水を売る店です。
 その店の主人がうちの店に来て、「そこの水もらえませんか」と声が掛かりました。当時は水道がまだ施設されていませんでしたが、戦時中の防火用の水溜(防火用水漕)に入れるための手押しポンプを家の外に引いていましたので、その水を求めに来たのです。所詮水は自宅の井戸の水ですからお金もかからず、気軽に「はいどうぞ」と答えますと、屋台の台の上にあります3つあるガラスの器にバケツで水を一杯ずつ入れています。
 水は容器の中に半分ほどに留め、その中になにやら小瓶の中の粉を入れますと、それぞれ鮮やかなイチゴ、レモン、コーヒーの色になり、それからその色の付いた水の中に白い粉、これは「化学甘味料」でしょうか。あの色粉といい白い粉といい、いったいどんな成分やったんでしょうな、まあそういう時代でした。それを入れ柄杓でクルクルッとかき回し、最後に20cm角程の氷を入れ、後は客待ちだけです。
 朝10時過ぎより準備を始め、「開店準備」が終わると、おやじさんが流調な声で「甘・・・・いだっせ甘いだっせ・・・・レモン水にイチゴやコーヒの冷えたのがどぅ・・・・・・・だす〜」と声を掛けますと、町を通る人がそれを求めて集まり、面白い程売れていました。
 普段は夜の7〜8時頃まで商売し、夜店の日には10時頃まで出店をしていました。
 その商いも天気や気温に左右されるようで、よく見ていると売れている日と売れない日とがあり、又天気の良い日でも売れの芳しくないときがあります。そうして芳しくない日は店をたたむまで冷やし水が残ってしまいます。
 さて、その売れ残った冷し水はどうなったでしょうか?・・・・・・・ご安心下さい、道路に散水しておしまい・・・。それが水商売でしょうか。
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吉野 健治郎
k-yosino@rinku.or.jp