健治郎会長が語る、「昔の話、まあ聞いちょ」(2003.6.25連載開始)
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その19【サーカスと福笹】(2007.1.2)
 昭和十年代(小学校四年生頃)のお正月(サーカスと福笹)

 見世物小屋の方ですが、これはサーカスのような大きなものでなく広さはサーカスの半分かそれ以下ののものでした。催し物はサーカスの小型化したもので、綱渡りとか一輪車も有りそれに芝居が付いてあったり、時には化け物的なもので、ろくろ首なるものとか、他には今ではチョット問題のある身体的なものも有りました。
 面白かった事には夜遅く芝居小屋が終わってから、役者の人たちは揃って、化粧のまま風呂屋で一緒になったことです。芝居の時の顔と化粧の落とした後、まるで違った顔に驚いたことです。

 その次のたのしみ、正月十日の恵比寿さん参りの帰りの出来事に付いて書いてみましょう。 
 朝から友達と春日の赤手ぬぐいさんにお参りをしての帰り道、いまのつばさ通り商店街中程の熊文さんと上善寺さんの間を抜ける道を歩いていましたら、道の真ん中に恵比寿さんの福笹が道に落ちています。誰かがお宮さんで福笹を買い帰るさいに落としたものでしょうか真新しい笹です。それを家に持ち帰り母に渡しました所、母が誰かが落とした物だから、元の有ったところに返しておいで、落とした方が困っているだろうからと云われ、有った場所に置き行き、それからまたまたサーカスの幕の間から入って、女の子に心を躍らし終わりまでみていました。
 さて先の道を引き返すと、まだ例の福笹がそのまま残っていましたので又持って帰りました。母がいやがりましたが、そのままほっといても誰かが持って帰ることだから貰っとこと、神棚の所の隙間にさして置きました。
 それが、そのまま一年が過ぎ、翌年の十日恵比寿がきて、春日神社のお参りの時、昨年拾った福笹を思いだし神棚からとりだして返しに行く際、父から聞いたことですが、その一年は店のほうが結構いそがしかったとのこと。そんな縁起担ぎみたいなことも、永い人世のなかには夢のようなことも有るんでしょうか。

 戦前の学校では正月一日には登校し講堂(いまは体育館かな〜)に全校生徒が集合し、校長が教育勅語を奉読し、あと永い訓辞、それが終わりますと春日神社に整列し、戦地で戦っている兵士に対しての武運長久を祈ってから解散。変われば変わる世の中です。
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吉野 健治郎
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