| 健治郎会長が語る、「昔の話、まあ聞いちょ」(2003.6.25連載開始) |
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| その二【定期券で思い出す】(2003.7.5) |
| メガネレンズは現在大手企業で生産されています。おおよそ戦後の1950年位に大手が顔を出して来ましたが、それまでは殆ど町工場で作られていました。その生産地は関西では大阪の生野、玉造、また岸和田の家内工業で生産されていました。そんな訳ですから親父の店も、大阪の玉造や岸和田の町工場より仕入れていました。 私が小学校2、3年の時でしたか、ある日父から「おまえ、毎日学校から帰って来たら岸和田へレンズ取りに(前もって注文してあるレンズ)行ってくれ」と言われ、南海電車の定期券を買い与えられ毎日レンズ工場へ行きましたが、今まで見たことの無かった定期券、これは嬉しかった。何回乗っても乗車券を買うこと無く改札を自由に通れ得意顔の嬉しさが今も忘れません。 それとレンズ工場を見るのも楽しいものでした。 初めて工場に行ったときの驚き、働いている人を見て一瞬言葉が出なくなりました。手から足、着ている物が全てオレンジ色をして顔がドス黒く、地獄極楽の画の地獄を思い出す光景でした。その訳はレンズを研磨するのに紅殻(べにがら、べんがら)を使用していたからです。鋳物で作ったドンブリ茶碗によく似た物(工場ではこれを皿と云います)、それが回転する中に右手にレンズ素材、左手で金剛砂を塗りながらレンズと金剛砂の摺り合わせでレンズカーブを付け、その後、皿に羅紗(ラシャ)を貼り付け紅殻を塗り、これを回転させてレンズをあて研磨するので紅殻が飛び散って全てが紅色となってしまうのです。 私の叔父もレンズ工場で働いて居ましたので聞いた事に、仕事を終え、風呂に入ってからでも、まだ白い肌着の首筋や手首が赤くなると言っていました。 昔は一枚のレンズを作るにも大変な重動労でした。 |
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| このページにつきましてのご感想をお聞かせ下さい。 吉野 健治郎(k-yosino@rinku.or.jp) |