健治郎会長が語る、「昔の話、まあ聞いちょ」(2003.6.25連載開始)
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その22【夏の夜の怪音】(2007.3.1)
 私の子供の頃、夜になると私の家に大人達が集まり日常の世間話に花を咲かせていたものです。
 何時も3〜4人の近所の人が夕食後の気晴らしに集まったのですが、何故か私のうちによく集まり、夜話しを楽しんでいました。
 当時は今のテレビなど考えもしていない時代で、楽しみと言えば映画を見に行くか、芝居小屋に行ったり、浪曲を聴きにいくか、ラジオをきくか、あとは居酒屋でいっぱい飲むかが唯一の楽しみでした。それらも行けばお金のいることで、そう続くものではありません。だから心やすい近所の家に顔を出し合い、今で言えば近所の情報交換の場でしたか、話の内容も取り留めのない世間話が殆どで、よくしていたのが男と女性との話。あそこのおっさんが二号さんを囲ったとか、嫁さんが若い男を引っ張り込んだとか、あそこの家が寺に大金を寄付したとか、あそこの子供が親に似せん出世したとかの話のたねでした。
 又ある時には、あそこの橋の下に狐がいて夜人をだますとか、夜家に帰って風呂に入っているつもりが、人に声を掛けられはっと気が付くと畑の肥溜めに入っていたとか、ある家の嫁さんに狸が付いてすがきの下(床の下)に入っているとか。また多かったのは人魂(ヒトダマ)を見たとか、それを追いかけたとか、笑い話のような事を言い合い夜更けを楽しんでいた、戦争中とはいえ気楽な時代でした。
 当時は戦時中でしたので政治や軍隊を批判するような事を言いましたら、それが警察の耳に入ったものなら、いっぺんに逮捕されるし、それが憲兵(軍事警察で軍隊に関する行政、司法警察)の耳に入れば国賊として縛られ 「じゅうへいそう」(?軍隊の拘置所)に入れられて、家にはなかなか帰してもらえなかったとききました。
 私が14才、昭和19年頃の蒸し暑い夜中の2時か3時頃の話です。
 開け放した窓の外から「かーん、かーん」と鉦を叩く音が響いて来るのです。佐野駅下がりの店の二階で家族が生活していましたが、向かいは天理教の大きな屋敷でして、特にその屋敷は一部三階建で、それがきわだって大きく見えました。その三階の建物の方から、夜中になると鉦の音が聞こえてくるのです。毎夜ではありませんがよく響くときと、かすかに聞こえる時が有るのですが、イヤ〜恐ろしく布団に潜って耳を詰めてじっとしていたものです。
 両親も気になりだし二階の窓から鉦の響く方を見て不思議がり、それが隣近所の方達も気にして色々噂が飛び交い、ついには三階の座敷に白い着物を着た人が立ったとか言いだました。だんだん話が広がり、其の時間が来る頃には人が集まりだし、鉦の音が聞こえ出すと三階の窓の方を見上げて思い思いに話し合い、音がやむと人影も消えて行きます。
 そうなりますと怖さを忘れ、人の集まりを楽しみ、鉦の鳴らない日は何かもの足りなさを感じるようになりました。
 その鉦の響きもやっと判りました。それは現在の笠松町にあります関西電力の子会社の大トーでした。戦時中は大阪陶業という会社でして、電気の絶縁碍子を生産していましたが、工場が海辺に近い関係で小型の輸送船を造っていました。その工程での鉄板を叩く音が風に流され、それが天理教の三階に当たり響きとして聞こえて来たのです。増産増産で夜中も仕事をしていたのでしょうか。それがわかるまで夜の来るのが気重になり、怖さの毎日でした。
 鉦の音が造船場から伝わって来る音と判ってから怖さも消え、人もまた集まらなくなって鉦が響く音だけが残った、真夏の夜の怪奇なできごとでした。
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吉野 健治郎
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