健治郎会長が語る、「昔の話、まあ聞いちょ」(2003.6.25連載開始)
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その3【飛行場を走るトロッコ】(2003.7.22)
 8月が近づくと、思い出しますのが先の戦争のことです。
 当時三重県に有った明野航空隊の分隊が佐野に出来ました。場所は今の旧泉佐野市営住宅付近から西は南中安松あたり、南はJR阪和線近くまでの面積で、滑走路は安松側に山側から海側に向かって施設されていました。飛行機は通称「赤トンボ」と云う練習機が殆どで、航空兵の訓練用の飛行場だったんでしょうな。
 此の飛行場を作るのに各町内から大勢の人が勤労奉仕にかりだされました。奉仕とは名ばかりで、戦時中ですから小学生も5〜6年になると参加させられました。その間学校での授業が無く、当時は子どもの教育より戦勝のほうが大切でしたんでしょうか。
 子どもは毎日飛行場づくりでしたが楽しかったもので、第1は学校での勉強がないこと、それよりなにより嬉しかった事は、昼には大きな握り飯と沢庵とが配られ腹一杯膨らんだことです。食べ盛りの子どもには有り難かったものです。
次に面白かったのが、工事に使う土を運ぶのには、当時はトロッコといって線路の上を動かす小さな箱車でした。土を山盛り一杯積み込み、2人で押して200〜300Mの先まで運ぶのですが、小学5年生ですから2人で押すといいましても大変でした。しかし戻る時には空のトロッコを2人で力一杯全速で押し走り、それに飛び乗って200〜300Mの線路の上をガタン、ゴトンと風を切って走るおもしろさ、今までの疲れは風と共に後ろに吹っ飛んで行く思いでした。
 これもあの戦争の痛ましさの中での隠れた子どもの中の楽しさでしょうか。
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吉野 健治郎
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